明るい部屋、のような存在

2019年5月15日、乃木坂46の23枚目のシングル『Sing Out!』のカップリング曲に当たる『のような存在』のMVが公開されました。自分の好みどんぴしゃりなものが来たので、楽曲を含めたMVの世界観について思い馳せたことをちょっと書いてみようと思います。

 今作の監督を務めるのは伊藤衆人さん*1スターウォーズをはじめとした様々なガジェットのオタクで、乃木坂との仕事でもドラクエとかガチャガチャとか、メンバーたちの可愛さにも引けを取らない、男の子が好きだったものたちへの偏愛を前面に打ち出した作品が多くあります。また、二期生を研究生の頃から個人PVなどで撮り続けており、生粋の二期生オタクとしても有名な監督。MV『ブランコ』では『偶然を言い訳にして』のワンカットを除けば最もカット数の少ない作品を、個人PVの『ブルー、レイ。』では特典映像の規格がDVDからBlu-rayに移行したタイミングでそれをネタにしたりと、映像そのものにも遊び心が多く含まれている印象があります。ちなみに、白石さんは『意外BREAK』『空扉』で撮ったことがあるそうですが、飛鳥ちゃんとMVの仕事で関わるのは今回が初とのことです。

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それでは、この曲とMVのストーリーについて書いてゆきたいと思います。私は音楽的な知識がある訳ではないので、ここではあくまで歌詞と視覚的な情報に比重を置いて語ってゆきます。まず、歌詞*2についてから。歌詞は最初に書かれていることが全てです。

グラスに(いくつか) 氷を(入れて)
溶けてく(時間を) ただ眺めてた

これが、歌詞に現れる風景の全てです。語り手がいる。その人の前には氷の入ったグラスが置かれている。以降の歌詞で、氷とグラス以外に具体的な情景を浮かべさせるものはほぼ現れません。あとは「君」に対する「僕」の内面の動静が語られています。では、この歌詞の中で「僕」は「君」に対してどんな感情を抱いているのでしょうか?「愛って何なんだ?」「愛ってあやふや」「愛って不思議だ」というフレーズがサビに置かれていることからも分かるように、もどかしい関係の中で「僕」は「君」を通して「愛」に対する実感を持ったようです。けれど「好き」といった告白の言葉は最後まで回避されています。ややネガティブな言い方をすれば、「僕」はかなりナイーブな人間の印象を受けます。相手が自分の方へと振り向いてくれることを待って、自分から思いを伝えようという意思を感じ取れません。歌詞から読み取れるのは、「グラスに溶ける氷を見つめながら、想いに従うべきか忘れるべきか悩んでいる僕」のストーリーとなります。必要最小限の物しかないこの歌詞の中では、時間が止まったような印象もあります。サビの最後のフレーズが「just a moment(ちょっと待って)」であることからも、時間の流れによって否応なく起こる「変化」に対する戸惑いも感じられます。

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歌詞から私が感じたことは以上になります。続いて、それを踏まえた上でMVについて語っていきたいと思います。MV公開の告知の際の公式のアナウンス*3によると、「外に出ることができない男の子・齋藤飛鳥を家庭教師としてその家を訪れた白石麻衣が、外に出れない理由が心にあると思い、齋藤飛鳥の心を開いて家から出そうと試みる」という設定からスタートするようです。

さて、再生を開始すると最初に現れるのは、海に面した真っ白な部屋の中にいる飛鳥ちゃん(ここでは一応公式の文章に従って「彼」と呼称することにします)で、彼は窓を拭きながら、ガラス越しに外の景色を見つめています。ショートカットで、ややビックシルエット寄りの大きなTシャツに暗い色のパンツというごくシンプルな服装で、男装しています。彼の首からは、ややショッキングなビジュアルの大きなガスマスクのようなもの(防塵マスクというらしいです)が下げられており、ここで、先の「外に出られない」理由が、恐らく「外の空気を吸えないこと」であると察せられます。続けて、外の浜辺に姿を現した白石さんは、ベージュのトレンチコートで、眼鏡をかけ、大人な女性の雰囲気に身を包んでいます。飛鳥ちゃんのいる部屋に入ってくると、どこか自信に満ちた表情で彼に顔を寄せて微笑みます。先の設定で語られていたように白石さんが、「外に出れない理由が心にあると思い、齋藤飛鳥の心を開いて家から出そうと試み」ようとしているのであれば、ここには先のマスクを握る飛鳥ちゃんとのすれ違いの前触れが感じられます。

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曲の一番では、二人が出会ってから関係を進めてゆく様子が映されています。授業中と思われるシーンでは、机も椅子も壁もカーテンもすべてが白一色に満たされた空間に、様々な小物がリズミカルに現れるので観ていて楽しいです*4。白石さんが授業の一環として持ち込んでいる(と思われる)品々は、世界地図、地球儀、動物のフィギュア、試験管、本……などなどで、それぞれが授業五科目に対応したものと分かります。個人的には、動物のフィギュアが食玩みたいですごい楽しかったりします。このシーンはアドリブのやり取りが多いらしいのですが、おちゃらけて、感情豊かに振舞っている白石さんは一定の表情で見つめ返す飛鳥ちゃんと対照的に見えます。ここでは、全く異なる二人が親密な時間を重ねてゆきます。サビはリップシーンなのですが、直前のシーンとは打って変わって、白石さんは少し冷ややかな表情を向け、飛鳥ちゃんは希望的な眼差しで柔らかく微笑んでいます。歌詞の「愛」という言葉も、それぞれの問いとして別の質感を持ってイメージできると思います。

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二番で、飛鳥ちゃんはオレンジ色の上着*5を肩から掛け、白石さんは爽やかな柄の入ったブルーのワンピースを着ています。二人は、窓越しに見える青い海を見ながら、目の前のガラスに海にいる生き物を描いています。これも授業の一環なのでしょうか。一番に比べて、ぐっと現実的に目の前にある「外部」へと意識が向いたことが伺えます。この時、飛鳥ちゃんの身に纏っている上着の、マットで黄色寄りのオレンジと、白石さんの服と海に見えるブルーは補色の関係にあります。そのため、白ベースの画面の上でコントラストが映え、色彩的にも非常に豊かで美しいです。一方で、飛鳥ちゃんから、目の前にある外と白石さんに対して立ち上がる「遠さ」も、二つの色の距離感と重なって際立って感じられます。ちなみに、室内にいる二人の様子は外から窓一枚を挟んで撮影されているのですが、ガラスには浜辺の景色の水平線が映っています。このビジュアルは最後の展開部でも現れるので、何か外部までの距離が一定のままあるような、そんな印象も受けました。続く映像の中で、白石さんがお絵かきの続きのように、窓をそっと開けようとすると、その手を飛鳥ちゃんは制止します。サビに移行する直前には、溶けかかって水を広げる氷が一つ増えてくっついている様子がワンカットだけ写されるのですが、室内の二人の距離が目には見えないかたちで変化したことを感じさせられます。

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ここから、サビへと行くと、ダンスシーンへと切り替わります。ダンスシーンでは、飛鳥ちゃんは黒、白石さんは白の衣装*6に身を包んでいて、その対称的な空気感がより明確に色で判別できるようになっています。何気に、男装時の飛鳥ちゃんが印象的な形で身に纏っていた「白」がダンスシーンでは白石さんの方にあてがわれていることも気になります。サビ部分では、先のリップシーンもそうですがドラマパートの時と二人の空気感が入れ替わっているような、そんな印象を受けました。そして、ダンスはというと。この場面に関しては、二人の位置が入れ替わったり向き合って手を合わせたりすることもなく、それぞれのポジションについたままです。カメラに正面を向け、体を大きくターンさせたりもしません。手振りがメインでひらひらと軽やかに動きます。振りのフックに当たる部分では、体をひねりながら、向きを斜めに反転させます。この、表裏に明確に分かれている訳でもないけれど、二つの向きや面を感じさせる振りの進行が私は好きでした。また、「そして僕は」の歌詞に沿ってポーズにつく時の二人が、一つのかたちに至るまでゆっくりと体を回転させるので、制止した時間が少しだけ引き延ばされながら、続く「ゆらす」「just a moment」という歌詞に引き継がれ、世界観を演出しているように感じられました。

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サビの後半からブリッジでは、先の窓辺に腰かけた二人の時間の続きのようです。口を開くことなく見つめあう二人。ここでは、何気に歌詞に現れた「グラスをそっとゆらす」に対して、眼鏡(glasses)に触れるように手を伸ばす飛鳥ちゃんのカットがあてがわれていて、言葉遊び的な面白さがあります。個人的には、眼鏡をかけて飛鳥ちゃんを見つめる白石さんと、窓ガラス越しに海辺の風景へと目線を流す飛鳥ちゃんにはどこか重なった部分があるようにも思います。だから、かは分かりませんが、ラストに飛鳥ちゃんに顔を寄せた白石さんは眼鏡をしていませんよね。翻って、外への憧れと、それを導いてくれる白石さんに向けるまなざしは、透明な一枚のガラス越しという点で重なって見えます。それが、白石さんに憧れる飛鳥ちゃんという役の外にある普段の振る舞いとも一致するので、どこか彼女の視線には熱が入ったものであることを自然に受け止められます*7。さて、このシーンでは溶けて一つになった氷を二人が指先でつつくカットが挟まれて、白石さんが顔を寄せる飛鳥ちゃんから目線をそっと外します。MVの前半部分に比べて表情の止まって見える白石さんの身振りには「飛鳥ちゃんを拒んだ」ような印象すらありますが、彼女はなぜ目線を外したのでしょうか?一つの部屋の中で他人へと向く感情を先細らせていくしかなかったはずの彼が、ある強い感情に突き動かされた、ということに気づけなかった……?いや、むしろ「愛」に関する堂々巡りのような問いかけの答えについて、白石さんなりに理解していたのかもしれませんね。一番の時にはコミカルに描かれていた白石さんから飛鳥ちゃんへと向かう一歩踏み込んだ感情は、ここではぐっとスリリングな空気で描かれます。二人の間に、家庭教師と生徒という社会的な結びつき以上の、特別なつながりが生まれてしまうことに戸惑いがあった。同性同士ということへの戸惑いがあった*8。白石さんには他に特別な存在があった。飛鳥ちゃんの与り知らぬ外の世界の制約があった……など、ここでの二人の視線のやり取りは様々な想像ができるように思います。

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続くシーンで、飛鳥ちゃんは白石さんの外した目線にはじかれるように、ゆっくりと窓辺に向かって倒れこんでゆきます。この時、彼は意図しないかたちで、外の空気に身を乗り出してしまいます。外には、空があり、浜辺があります。透明な壁を一枚挟んで見えていた「外部」の生々しさに向き合った時、別の場面が立ち現れてきます。オレンジがかった風景は、画面の端がぼやけていることもあって、そこには存在しない景色が追想されているようです。そこでは、飛鳥ちゃんは黒い服を着て、マスクを捨て、白石さんと並んで浜辺を走り、彼女と手を繋ぎ、大きな声で海に向かって叫んでいます。この風景は、飛鳥ちゃんが外部に触れて幻視してしまったものなのでしょう。細かく切り替わるカットで、窓から身を乗り出している飛鳥ちゃんは、表情をゆがめながら胸元を掴んでいます。それは、本当に外気の毒素で肺がきしんだのか、きしむべき肺に何も起きていないことに戸惑っているのか……。どちらにせよ、彼は未来、もしくは過去にあり得たかもしれない景色を思わず頭に浮かべてしまったのでしょう。続くダンスシーンの直前には、溶け切った氷が水となって広がる机のカットが挟まれ、かたちとして留められていた何かが決壊して曖昧になった様子、何かが元のままではいられなくなったことが示唆されます。

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最後のサビ部分、二度目のダンスシーンでは、最初のダンスシーンとは異なり外に出ています。振り付けでは、向き合って手を合わせたり、交差したりと、具体的なコンタクトとともに豊かに展開してゆきます。二人は背景には空と海を置き、建物の屋上のような場所にいるのですが、白石さんの後ろには何もなく背景がそのまま遠目に見えているのに対し、飛鳥ちゃんの立つすぐ後ろには大きな枠と壁があります。一般的に見ても、MVでドラマとダンスがパート分けされているものって、後者はやや抽象的な時間を立ち上げると思います。それで言えば、飛鳥ちゃんのすぐ背後に控える長方形の枠は、ドラマパートで二人が身を置いていた窓辺を抽象化したもののように思えます。また、飛鳥ちゃんは白い壁にくっきりと影を伸ばしていますが、白石さんも、たまに飛鳥ちゃんの立っている場所の端にちらちらと影を現します。正直、白石さんが前に立ってるのか後ろに立っているのかが私には分かりませんでした(※ロケ地*9の写真を見ると、どうやら二人ともデッキの段差の上にいるようです)。加えて、背後の風景は、手前で風を受けて衣装をはためかせる二人に比べると、ずっと静寂したものとして存在しています。初見時には、静止画にすら見えました。空は、晴れなのか曇りなのか微妙なところです。飛鳥ちゃんの濃い影に比べると、澄みきったというよりは湿度のある青空もので、それぞれが別の場所に位置しているように見えます。合成とかスクリーンプロセスっぽい、地と図のずれを感じました。総じて、この最後のダンスシーンでは、MV全体を通した個人的に感じた「どこでもない場所」の感覚を強く想起させられました。

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さて、だいぶ長くなってきましたがラストシーンについて。夜の時間、青く染まった室内に横たわる飛鳥ちゃんは、まるで彼自身がずっと眺めていて手の届かなかった海の中へと深く沈んでいったようです。一方、明かりが落とされた部屋で、白石さんは眼鏡を取っています。真っ白だった部屋の中に、異なる色が落ち、何か私秘的な空間に、そういったものが許される場になっていると感じられます。彼女は、いつかの飛鳥ちゃんに返事を返すように、そっと顔を寄せます*10。続くタイトルバックの直後、白石さんが去り、飛鳥ちゃん一人になった室内。波の打ち寄せる音が静かに届き、カーテンがかすかに揺れ、彼の手には花が握られています。飛鳥ちゃんが外に出られなかったのは、「外の空気が吸えない」ことではなく、本人の外部に対して抱えた臆病さが肥大化していったことが原因だったのかもしれません。体ではなく心が閉じていた。その意味では、二人がそれぞれに思う「飛鳥ちゃんが外に出られない理由」のすれ違いとその解決は、白石さんが当初望んでいた形で叶ったように思われます。しかし一方で、外に出ることが出来るということは、白石さんはあの部屋の中での自らの役割を終えたということです。眠った飛鳥ちゃんに、慈愛を向けて去っていった白石さんは、もうここにいる理由がないと言わんばかりの、切実な時間が流れているように感じられます。MVの中で、白石さんの見せる明暗のくっきり分かれた表情と、飛鳥ちゃんの繊細に揺れ動く感情のアウトップとは、とても対照的でした。案外、自分の好奇心や気持ちを恐る恐る、でもまっすぐに前に出せる飛鳥ちゃんに白石さんも恋愛とは別のそれとして憧れていたのかもしれませんね。異なるかたちで臆病さを抱えていた白石さんと飛鳥ちゃんは、互いに少しだけ前に進んだと希望的観測で言えるかもしれません。MVの中で、私は二人が恋人という関係を結んだとは思いません。でも、二人は何か特別な関係の中にあって、ある瞬間には恋人のように視線や言葉を交わしていたのだと思います。二人の関係は、恋人というかたちで定着はしていません。二人の関係は、判然としないかたちで交わって、過ぎ去ったように感じられます。ある瞬間に、刹那的にしかありえなかったと感じられました。

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ちなみにここで、飛鳥ちゃんが花*11を持っていることについて、なおさんという方が以下のような素敵なことを言っていました。

まいやんの為に外に出て花を取ってきて、そのまま疲れて眠ってしまったのかなと思いました。粉塵マスクを外して、海岸沿いを二人で歩く未来を想像しながら。 その寝姿を見てまいやんは飛鳥ちゃんが外に出れるようになったことを知ります。 そしてそれは自分がここを去る時が来たということ。 飛鳥ちゃんに気が付かれずに自分の気持ちを残すように、眠る飛鳥ちゃんの頬にキスをして、まいやんはいなくなります。

『「」のような存在』の「」について考える - diary

 なおさんのロマンチックな見方とは対照的に、私の友人は最後のシーンについて、「殻に閉じこもっていた自分を外の世界に導いてくれるような出会い、だからそれは運命的な恋のはず。でも、そんな運命的な恋が超常的な出来事を挟むことなく成就するなんてありえないと思う*12。だから、最後の飛鳥ちゃんは外の空気を吸って息をひき取ったあとの姿。手に持っている花は白石さんがたむけとして添えたもの」という解釈を話してくれました。ややシニカルな気もしますが、そんな見方もありだなと思います。物語を推察することが楽しいMVであることには変わりありません。

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さて、ここで改めてタイトルバックについて。タイトルバックでは、黒と白の二つのカットがあります。MVの中では二人とも白の服を着ていましたし、黒はダンスシーンで飛鳥ちゃんが印象的な姿で身に纏っています。全体を通して、対照的な形で自分の内面と向き合っているように見える二人の姿は、同じコインの裏表のような関係にも見え、黒と白の色にはそういったあれこれが結びつけられているように感じられました。けれど、ここで個人的に思い出したのは、昔ブログで飛鳥ちゃんが言っていた二つの色とのことでした。

若のブログでは、わたしは真っ直ぐで白いってあった。白いって表現、久々にしてもらったなぁ 昔ね、橋本さんがブログでわたしの事を"全てが真っ白で大事にしたい"って書いてくれたの。なんかよく覚えてるんだー。 いつからか言われるようになったのは正反対。黒い、暗い、ダーク、とか? 暗いのなんて事実だし、どっちが良い悪いとか 嬉しいとかそうじゃないとかは全くないんですよね。 乃木坂にいながら自分が変わっていく姿を皆さんに見てもらってる。特に若~い頃からいるし、我ながら変化は多いと思います。 でも変わっていない事だって沢山ある。守ってる物だってある。だから、なるほど正反対になるんだ~ って不思議な気持ちです。

いろいろと懐かしすぎて泣きたくなってくる部分もあるのですが、自分のイメージがどんどん変わってゆく。白という色は、変わっていない事、守ってる物というニュアンスで語られています。BLTの今号のインタビュー*13では、どんな虚像でもいいけれど、自分の今の立ち位置的には「それは違うよ」と言わなきゃいけないことがあるかもしれない、といった内容のことを話していました。個人的には、飛鳥ちゃんって、自分と他人の間で揺れ動くイメージに対して、とても繊細で切実に向き合っているように見えます。明確にこれって言えるようなカラーをどかんと出そうとする人ではないかもしれませんが、でも生駒ちゃんが「ずっとまっすぐでいてください」と言った*14ように、自分の内面をストレートに前に出せる人で、そんなところが魅力的だと思っています。そして、飛鳥ちゃんの自己認識としての色の話って、とても素敵だと思うんですよね。自分にまつわる二つの色は正反対で、でもその色の距離の中には自分の変化が織り込まれている。どっちが良い悪いとかじゃない。今回のMVでは、期せずしてその二つの色が随所で現れます。でもたぶん、それはどっちが良いとかではなくて、黒と白、内と外、部屋と海、わたしとあなた、飛鳥ちゃんと白石さん、そういった遠く隔たったものたちの隙間を許容するものとして「のような存在」という言葉があるのだと思います。その意味で、「のような存在」の空白部分には何が入るのか?という問いに対して、先ほど引用させていただいたなおさんが書かれていた「何も入らない」という見方について、私は強く共感できます。

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また一方で、タイトルバックの白黒以上に印象的だったのが、ガラス、眼鏡、氷、水……そういったものに現れた「透明な色」です。家庭教師、生徒、異性、友達、彼氏、彼女、恋人……のような存在。お互いの立ち位置が、定着しきっていたものが、徐々にずれ、溶けあいながら曖昧になってゆく。それが、一つ加わったかと思えば溶けて水になってしまった氷のかたちに重ねられています。お互いの中に相手がいて、溶けあっているような。氷の持つ冷たいイメージから、少しだけ暖かいものへと移った。明確な色の反転以上に、「透明な色」の中で起きていた、質感の推移の立ち上げる豊かな世界観が感じられました。

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では、ここからはMV全体の世界観として気になったことを。私はこれを見て、何かどこでもない場所のような感覚を抱きました。では、どこでもない場所、という感覚はどういうことなのでしょうか。少し考えて見たいと思います。手がかりになりそうなことの一つに、今回の飛鳥ちゃんの姿が挙げられます。正直、飛鳥ちゃんが男か女かという問いって、自分としてはあまり重要なことではないのですが、個人的には女性だと思っています。飛鳥ちゃんが窓の外に顔を出してしまった時、白石さんと二人で浜辺を走っている情景を思い浮かべているかのようなシーンで、飛鳥ちゃんが着ているロングコートやストールは、女性的に見えました。またダンスシーンでの飛鳥ちゃんは、長髪で、ヒールを履き、スカートをはいています。ここでの彼女は女性的です。ダンスシーンで白石さんの方が男物の服を身に着けていたりしたら、もしかすると、自分の中での見え方は変わっていたかもしれません。ともかく、やや昨今においてはデリケートな響きがありますが、飛鳥ちゃんはとても中性的に見えます。髪型はショートカット。ビッグシルエットの服は体のラインを覆うため、性差の手前で華奢という印象にとどめます。ジェンダーレス(gender-less)ともいえるかもしれません。ここであえて言い換えたのにはわけがあります。それは、less という語の響きに注目して欲しかったからです。less という接尾辞は、ある語と結びつくことで先行する単語を「欠いた」状態を表します。つまり、less によって強調されるのは、ある概念のあった状態が失われたということです。ジェンダーレス、ボーダーレス、ジャンルレス……そういった、ある既成の概念が[less]取り払われた直後に生じる「隙間」のイメージが喚起されるわけです。less は欠けたり失ったりしたものについて回顧させはしますが、新しい状態について積極的に述べることはしていません。常に、既成のものを裏切るのです。では、少々強引かもしれませんが飛鳥ちゃんの在り方に見てとれる less な様態を、今作の一つのカラーとして、もっと全体に広げた上で改めてMVをもう一度見てみたいと思います。「のような存在」の映像で現れた、真っ白な部屋、そこには白石さんから持ち込まれた外界のあれこれと、飛鳥ちゃんが首から下げているマスク以外に目立ったものはありません。画面の大部分を占める真っ白な室内の色、その光景を前にすると、どこか「社会」という時間から切り離されている印象を受けます。飛鳥ちゃんは普段どうやって生活しているのでしょうか?白石さんは誰に言われてここへ来たのでしょうか?二人の関係のほかに時間の流れが存在しないこの空間に対して、見ている私たちはなじみ深さを感じるでしょうか?このMVの海辺の一室が「どこにもない」という感覚を抱かせるのは、恐らく、自分たちのいま身を置く世界との現実的な結びつきがほとんど画面の中にないからでしょう。そのため、less と同じく、ぽっかりと空いた感覚を想起させるように思います。この海辺の白い部屋は、二人がいるための場所以外の何物でもなく、どこか自分たちが目にする現実を逆照射してくるような、そういった空白や余白の占めた空間として立ち現れているように私には感じられました*15*16*17。そして「空白」とは、抜け落ちたものであることが重要であり、単なる「無」や「なにもない」状態ではなく、そこにはかつて何かがあったはずだという感覚を呼び起こすのです。現実のあれこれに一度休止符が打ち込まれたような、止まった空気感、空気が抜けた後に隙間を埋めるために再び流入してくる直前の、「そこにある」と「そこにない」が同時に存在しているような感覚です。

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さて、ここで一つ別の作品について語ってみたいと思います。それは、伊藤衆人監督が22ndシングルの際に撮った桜井玲香の個人PV『ブルー、レイ。』です。この個人PVは、乃木坂のシングルの映像特典がDVDからBlu-rayへと移行したタイミングに作られました。語り手の僕が、桜井との再会をきっかけに、かつての日々を追想するというストーリーになっています。特典ディスクが「Blu-ray化」したことを、「桜井玲香」が結婚を機に「蒼井玲香」になったという言葉遊び的なものに落とし込んでいるのですが、作中の映像はDVDの画面がそのままBlu-rayサイズに引き伸ばされているので、どこかざらついた過去の質感が残ります。それは、どこか実体のない喪失感を味わわせて、感傷的な気分にさせてくれます。けれど、画面の中で特定のキャラクターや人物が死んでいるわけではありません。そこで失われているのは、DVDの画質に映っていた彼女です。さらに言えば、あの映像の中では、桜井玲香が蒼井玲香になる前に語り手とどのような関係を築いていたのかは断片的で、共感したり没入したりするにはやや情報量が少なく感じられます。けれど、明確に、あの映像を通して、一人のキャラクターにまつわる時間との別れや喪失というシチュエーションは強調されています。言ってしまえば、そこでの喪失は明確な何かに向けられたものかは分からないけれど、喪失という感情だけは強く受け取ることが出来る。「画質」という、実体としての重さがないものが失われている。実体のない喪失感、それがぼくにはとてもエモーショナルなもの、感情的なものにフォーカスされた経験、「エモい」ものに感じられました。宛先を欠いたまま感情的な経験が強く起こっている。前後関係の不明瞭なまま出来事の上を感情の波が流れてゆくような、そんなイメージです。

では、今回のMVにおいてはどうでしょうか?少なくとも、『ブルー、レイ。』において、感情的な経験というのは「喪失」によって起こっていました。私は、『のような存在』においては、先ほど書いたような「ある」と「ない」が同居した「空白」があると感じたのですが、そこには、さらに別のものが加わっているようにも思います。結論を先取りすれば、あの「空白」は、一人称の語り手の頭の中にイメージされる「愛」という言葉を引き受けているように感じられます。MVでは、愛という観念的な言葉が、飛鳥ちゃんが現実へと接続される強い契機になっている。それは、とてもロマンチックなことだと思います。では、「空白」や「透明」とともに、重要なモチーフとしてある「愛」はどのようなイメージとして描かれているのでしょうか。

さて、ここでまたまた別の作品を。『散歩する侵略者』という映画があります。監督は世界的な評価も高い黒沢清さんで、前田敦子の『セブンスコード』なんかも撮っていますね。個人的には『CURE』『クリーピー』のようなサイコスリラー色の強いものが好きです。少しだけ補足をしておくと、多くの作品が、内面世界が現実を浸食してゆくような物語にコミュニケーションの問題を重ねている印象があります。この映画も、宇宙人の侵略という古典的なSFのテーマを通して、「他人とどう向き合ってゆかざるをえないか?」というかなり現実的な問題を扱っています。『散歩する侵略者』は、簡単に言えば宇宙人が人間の体を乗っ取って、いろいろな人間と接しながら侵略の準備を進めるという物語です*18。この時にネックになるのが、宇宙人たちは人間の考えを理解するために、相手から様々な言葉、その奥にある概念を奪うのです。そして、概念を奪う際には、奪う相手がしっかりとその言葉を頭の中にイメージした状態でなければなりません。映画の中盤、松田龍平演じる宇宙人の一人が、たまたま立ち寄った教会で出会った神父から、「愛」という概念を奪おうとするシーンがあります。しかし、「愛」という概念を、奪うことはできませんでした。この時、見ず知らずの他人に対して、神父は十分な愛のイメージをその場で思い浮かべることはできませんでした。興味深いのは「愛」の概念について神父が語る際に、実に多様な言葉で言い表されるということです。少なくともこの映画において、「愛」という言葉は他者へと向ける豊饒なイメージの受け皿として存在しています。

さて、『のような存在』のMVにおいて、飛鳥ちゃんが外へと向かう契機となったであろう白石さん(ひいては外の世界)への「愛」は、果たして彼女/彼の中でどのようにイメージされたのでしょうか?もちろんそれは明言されることはありません。けれど最後に映るタイトルバックの黒から白へと移る二つのカットは、文字だけで見た時には意識されにくかった「のような存在」という言葉に先行する語の部分が余白として置かれています。そのため、この言葉は、どこまでも広がり続けるイメージや、捉えどころのない概念の周縁をめぐることを許容してくれます。であればこそ、無数の言葉で言い表される「のような存在」の空白部分は、MVの再生ボタンを押してから抱えていた、less 欠けたものというイメージから、もっと豊饒な何かを抱えた場所として再び現れてくるように思いました。それは、喪失の暗い空白から、満たされた明るい空白への、ささやかだけれどドラマチックでロマンチックな飛躍なのだと思います。 

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最後に、ごく主観的な見方ですが、私個人としては乃木坂に漠然とですが「世界観」というのがあって、それはやっぱり世界の片隅にいる人にそっと手を触れるような、そういうセンシティブな物語でもあったと思うんですよね。インフルエンサー以降は、かなり自覚的に、モデルやアイコンとしての振る舞いを前に打ち出しているように感じます。けれど、今回のMVでは「透明な色」という言葉が、今のビビットで先鋭的なグループのイメージに忍ばされているようでした。加えて感じたのは、今の一期生二期生たちを通して、何者でもないという状態を描き出すことは、どんどんと難しくなっているのだろうな、ということです。それは例えば、ひらがなけやきの『あゆみ』*19プリンシパル公演のような意味での演技が、成熟した彼女たちには良い意味でも困難となっているということです。個々人が個々人として何かを十分に演じることが出来、それぞれの魅力を異なるかたちで前に出すことが出来る。そんな中、今回のMVでは、グループやメンバーの固有のイメージと作中の薄明なキャラクターの姿を、互いに引かせあうことで、いったんはまた諸々のイメージが宙づりにされたような感覚もあり、どこか新鮮でありながら懐かしいもののように感じられました。

また『のような存在』冒頭の海辺の私室に一人、というシチュエーションは、特に初見の際には桜井玲香の主演舞台『半神』*20が重なって見えました。そちらは、イマジナリーな自分を通して、現実と夢のはざまに揺れ動く少女とそれをめぐる人々の物語です。この舞台の戯曲は野田秀樹によるものなのですが、原作は萩尾望都の同名漫画になります。ただ、これには少し複雑な事情があって、野田秀樹は戯曲を書く際に、『半神』に加えて、萩尾望都がSF作家レイ・ブラッドベリの短編小説を漫画化した『霧笛』という別の作品も下敷きにしています。『霧笛』は「灯台」をモチーフにした物語です。灯台とはご存知の通り、霧の中で船が迷わないように呼びかけ続ける建物です。光や音が、常に見えない誰かに向けて自分の存在を発しているのです。さて、乃木坂の『君の名は希望』の歌詞には「真実の叫びを聞こう」という言葉がありますよね。出会うべき誰かがいつかきっとあなたにも現れるというテーマは、乃木坂の表題曲でもしばしば歌われてきた世界観の一つで、単に「がんばれ」というエールを送ったり「運命の人がいるよ」みたいなロマンチックなものではなく、自殺する一歩手前で踏みとどまらせるような切実な言葉に聞こえます。暗い出会いの中に一筋の光が差し込むような、そんな感じです。少し遠回りをしていますが、『のような存在』の海辺の建物も、そういったかつての乃木坂との世界観と接点を持っているということです。呼び声を待つ場所、世界の片すみで無言で訴え続けるような、まっさらでピカピカとした室内は、孤独な空間に見えました。さて、そんな飛鳥ちゃんの声は、連れ出してくれた白石さんにどんな風に届いていたのでしょうね。それもまた、様々に想像する楽しさがあります。 

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孤独は、人になる子にあげよう。代わりにお前には、音をつくってあげよう。

この世の誰も聞いたことのない音、この海原ごしに呼びかけて船に警告してやる声が要る。その声をつくってやろう。

これまでにあったどんな時間、どんな霧にも似合った声をつくってやろう。

たとえば夜更けてある、きみのそばのからっぽのベッド、訪うて人の誰もいない家、また葉の散ってしまった晩秋の木々に似合った…そんな声をつくってやろう。

泣きながら南方へ去る鳥の声、十一月の風や、寂しい浜辺に寄する波に似た音、そんな音をつくってやろう。

それはあまりに孤独な音なので、誰もそれを聞き漏らすはずはなく、それを耳にしては誰もがひそかに忍び泣きをし、遠くの街で聞けばいっそう我が家が暖かく懐かしく思われる…そんな音をつくってやろう。

おれは我と我が身を一つの音、一つの機械と化してやろう。そうすれば、それを人は霧笛と呼び、それを聞く人はみな 永遠というものの悲しみと生きることのはかなさを知るだろう。

野田秀樹『戯曲 半神』

 

 

 

*1:伊藤衆人監督作品プレイリスト|https://m.youtube.com/playlist?list=PLRJ9pIwsF80sEawMKpXYJC_yZjlnzHo13

*2:余談ですが、歌詞は公式のものが出回るまで「愛って何だか(○愛って何なんだ?)」「ゆらゆら(○揺らす)」など、自分も含めて多くの人が空耳していました。また、フル解禁後の歌詞サイトの多くがサビの後半部分の「ただカラカラと揺らす」の部分が「Have I got a color for Your love」になっていて、「揺らす」という言葉が文字通り様々な意味に広がっている様子が面白かったです。|https://www.uta-net.com/song/268341/

*3:【公開スタート!!】23rdシングル「Sing Out!」C/W収録曲「のような存在」Music Video!!|http://www.nogizaka46.com/smph/news/2019/05/23rdsing-outcwmusic-video.php?

*4:今回はここに小ネタが色々と仕込んであったみたいです。|https://twitter.com/wpsodoru/status/1134028621247463425?s=21

*5:飛鳥ちゃんの着ている赤マントは『AKIRA』の鉄雄を意識しているのかもしれません。|https://twitter.com/wpsodoru/status/1136917995253428225?s=20

*6:伊藤衆人監督「のような存在、衣装スタイリストは空扉も一緒にやっていただいた片倉辰徳さん。まいやんのダンス衣装何着か選ぶ時監督絶対これ選ぶと思った!と言われました。だってレイアっぽいじゃない!それにするしかないじゃない!」|https://twitter.com/wpsodoru/status/1137696232913063936?s=20

*7:乃木坂46 齋藤飛鳥白石麻衣、最強ユニットが誕生 「のような存在」に至る相思相愛の関係性|https://realsound.jp/2019/05/post-363148.html

*8:伊藤監督がシングル発売から数日経って、“好きな百合MV”としてTHETOYSのMVを紹介しているのですが、この映像には『のような存在』との共通点も見受けられ、製作期間中に観ていたものであろうことがうかがえます。そのことからも、今作が百合的な空気感を十分に狙っていることが分かります。|https://twitter.com/wpsodoru/status/1135190722389241857?s=21

*9:スタジオ イオス 11|https://studio.powerpage.jp/#!/detail/8959

*10:この辺りのシーンについても含めて、シングル発売一週間後に監督がMVの裏話を語っています。|https://twitter.com/wpsodoru/status/1137693287404322816?s=20

*11:桜の枝|https://twitter.com/wpsodoru/status/1135177232215814144?s=21

*12:この辺りに関しては三秋縋さんの以下のツイートが下敷きになっています。“たとえば僕の場合、「運命の恋」を描くときは必ず「超常現象」を絡めるんですけど、それって逆説的には「超常現象でも起きない限り、運命の恋など成立しない」というシニカルな世界観の表れだとも思うんです。そういう視点で『秒速5センチメートル』と『君の名は。』を見比べてみるのも面白いですよ。”|https://twitter.com/everb1ue/status/779918852100456448?s=21

*13:B.L.T.2019年7月号|https://bltweb.jp/2019/05/14/blt07_nogizaka46_saitouasuka_0524release/

*14:EX大衆2018年5月号

*15:BUBUKA2019年7月号に掲載されたMV監督の池田一真さんのインタビューでは、空間の光の捉え方について興味深いことをおっしゃっていました。“(『Sing Out!』の)暗闇の中に強い光が当たる演出は人の存在感を強調したもの。『シンクロニシティ』はワンシチュエーションでやっていますけど、あれはすごく明るい中で影を撮っていて、逆に『Sing Out!』は闇の中で光を撮っているという。あっちは白昼夢というか儚さ、刹那的な一瞬の偶然みたいなものを表現しているから、あまり実態が感じられない。あやふやな見せ方をしているんです。でも、『Sing Out!』では周りが暗い分、芝居場は強い光を当てて生々しく人が浮かび上がる。手を伸ばせば触れられそうみたいな。そこにちゃんと足を着けて立っている、そういう現実感を意識しています。” これを踏まえると、『のような存在』に現れた真っ白な部屋の白昼夢のような儚さは、光に包まれた白の上に浮かんでは沈む二人の色や輪郭、影が、「光」の中の「暗さ」として立ち現れることで生まれているのかもしれませんね。|https://www.bubkaweb.com/posts/6327001

*16:(※ 脚注9の補足として)乃木坂46シンクロニシティ』のMVはなぜ”フィルム”で撮られたのか|http://result33.hatenablog.com/entry/2018/04/24/072003

*17:(※ 脚注9の補足として)乃木坂46、神MV『シンクロニシティ』の“影”が意味するもの 詩的な映像表現を分析|https://www.google.co.jp/amp/s/realsound.jp/tech/2018/04/post-180754.html/amp

*18:最初の設定の部分に関しては、安部公房『人間そっくり』『他人の顔』、三島由紀夫『美しい星』なんかとよく似た点を見出すことができるでしょう。ちなみに個人的には欅の『サイレントマジョリティー』や、乃木坂の『他の星から』なんかも、同様のテーマを扱っていると思っていたりします。

*19:『あゆみ』はごくごく普通の女の子の人生についての物語です。真っ白な舞台で真っ白な衣装を身に纏ったけやき坂メンバーが、数人の登場人物を代わるがわる演じてゆきます。そのため、役とメンバーが強固に結びついているわけではないのですが、影や個性の弱いキャラクターたちとそれを演じるあどけないメンバーたちからは、それぞれに等身大の自分と向き合っている姿が伝わってきます。|https://www.nelke.co.jp/stage/hiraganakeyaki_ayumi/

*20:『半神』は、岬はずれの灯台に幽閉された結合双生児の双子に、若い数学者が住み込みの家庭教師として「この世」を教えるという設定から始まります。|https://www.nelke.co.jp/stage/hanshin/