せかい の おわり と にきせい と

   20XX年7月12日、雨。また、今日も。世界がある。人はいない。どうしてこうなったのか、どれくらいの時間が経ったのか、そんなことは忘れてしまったけれど、鏡に映る顔に大きな変化はないので、私はあんまり変わってないことがわかる。とりあえず、今は朝だ――

f:id:calpasngz:20190712211919p:image

   2019年5月23日、乃木坂46・23rdシングル「Sing Out!」のアンダー楽曲「滑走路」のMVが公開されました。このMVは寺田蘭世がセンターで、“誰もいない街に残された女の子たち”をテーマに撮影されています*1。映像を観ると、人のいなくなった都市の中でメンバーたちは気ままに暮らしています。実は、アンダー楽曲の中で2期生がセンターを務めたいくつかのMVでは、これとよく似た世界観が何度か採用されています。『ブランコ』『新しい世界』『日常』などでも、文明社会の営みが止まった世界で、メンバーたちが、自由でありながらどこか行くあてのない未来への倦怠を抱えて暮らしている様子がMVに映っています。こうした世界観は、終末もの、もしくはポストアポカリプスと呼ばれるものに相当するのではないでしょうか。今回のブログでは、2期生がたまに打ち出してきたこれらの退廃的とも言える世界観について思うところを書いていきたいと思います。

 

f:id:calpasngz:20190712212222p:image

 

   まず、「ポストアポカリプス」というのは正確には異なりますがニュアンスとしては「災厄のあと」って感じの意味になります。「ポスト」って言葉は「〜のあと」を意味する接頭辞のため、「アポカリプス」の前後に当たる二つの時間がそこには含まれまれています。なので、「アポカリプスのあと」とは、災厄そのものの痕跡もしくは災厄以前の世界の痕跡が残った、災厄以後の世界と捉えるのが適切でしょう。昨今のこの手の作品では大抵は核や放射能が原因で滅んだ地球が舞台になっていることが多いですね。その世界で観測される遺構として残った旧世界、直前世界の痕跡とは、言ってしまえば他者がかつて生きていた気配です。自分以外の生の記憶に触れながら、それがもう喪われている。つまり、ポストアポカリプスによって描かれるのは、いま私たちが普通にいる現実の中に無数にうごめく他者の時間が、ある一定の箇所で止まってしまい、他者(としての風景)と自分の距離がごく主観的に経験される状況というわけです。

   ポストアポカリプスって、あくまでSFの下位区分なのですが、そこからさらに細分化して、コージーカタストロフィ(心地よい破滅)って言われるジャンルがあります。これは、人類のほとんどが消えた世界でほのぼの暮らす系、『少女終末旅行』『灰羽連盟』『翠星のガルガンティア』などがそうで、今回のブログで扱う乃木坂のMVも細かく言えばこっちに属していると言えるでしょう。ゾンビものの映画やゲームなどでは、社会が機能不全になった世界で、集団の中に俺ルールを持ち込む人物が現れたりしますが、これらの作品では外敵も他者もいないため自分のルール=世界になり、自由気ままな生活を送っています。そのため、コージーカタストロフィの作品はしばしば廃墟めぐり的なものになりがちで、個人的には、引きこもりとか、現実世界に未練のある現実逃避の欲望を反映した作品に見えてしまうんですよね。その意味で、閉園後の遊園地みたいな「心地よさ」とか「解放感」は、嫌いではないですが、ストレートに好きとも言いづらいというのが個人的な思いです。ひとまずここまでで何が言いたいかというと、ポストアポカリプスと呼ばれる作品群の中で、誰もいない街に取り残された人物は、しばしば世界の箱庭化・私室化を図るということです。私が先ほど、「他者と自分の距離がごく主観的に経験される状況」「引きこもりに見える」といったのはそのためです。

 

f:id:calpasngz:20190712212526j:image

 

   以上を踏まえた上で、2期生をメインに据えて描かれた映像をざっくりと見てみましょう。絢音ちゃんセンターの『新しい世界』では、霞みがかった世界、古いMacなどの置かれた場所から大きなアンテナを通して彼女たちのいる世界より離れた場所へと交信が続けられています。ファーストコンタクトものの王道のようなシチュエーションですが、ここでは何か行き場のなくなくった世界に取り残された人たちという印象を観ている側に与えます。北野センターの『日常』では、ノマドのような牧歌的な旅暮らしを、文明社会から離れた草原でメンバーたちが続けています。彼女たちから生への強い意志は感じる一方で、旅の目的地が判然としているようには見受けられません。そして、蘭世センターの『滑走路』。このMVは冒頭とラストに、蘭世がハーバリウムのような瓶に詰められた植物を手元に持って部屋に一人でいる様子が映されています。そのため、広い都市のただ中にメンバーたちと一緒に取り残されている状況は、蘭世が見ている空想世界のような立ち上がり方をしています。つまり、先の二つとはやや異なり、メタな視点が一枚かまされているのです。部屋の中で瓶に詰められた植物の生を見つめる姿と、誰もいない街で飛行機の飛び立たない滑走路を見つめる姿は対置させられており、ポストアポカリプス的な世界の私室性が強調されています。一方は手元に収まる小さな世界に箱庭的な空想を広げながら見つめ、他方は私室となった世界から抜け出したいと空を見つめる。『滑走路』のMVは、寺田蘭世や2期生の既存のイメージを踏襲しつつ、さらに一歩踏み込んだ描き方をしているわけです。そもそも、2期生の行うこれらの文明社会以後の世界というのは、研究生の個人PV『せかい の おわり は、』辺りから始まっており、その実質的な続編にあたる『ブランコ』で、より強度のある世界観として定まった感じが個人的にはあります。蘭世の持つ「飛ぶ」イメージも、やっぱり彼女のパーソナリティとともに、これらのプロダクトの上に成立してると思うんですよね。

 

youtu.be

 

   こうした具体的な物語の造形は、変化の多い最近のグループの中では一貫性のあるものとして見えにくい部分もあります。一方で、最近のあるインタビューの中で、堀ちゃんは以下のように語ります。

   2期生、特に寺田蘭世と今後のグループについて話すことが多いんですよ。私たちが乃木坂に魅力を感じたのはその唯一無二感というか、繊細で芸術的な作品が多いところでした。楽曲だけでなく衣装もMVもそう。一見マイナスに感じるようなメンバーの個性でも、グループ自体の不思議な魅力で逆に輝かせてくれる。実際、乃木坂に入ったあとも「このグループに入ってよかった」と思えたんです。

   ただ、より広い世代に愛されたいと思うと、王道寄りというか、癖のないところにいってしまうんじゃないかという懸念もあって。王道も素晴らしいことだと思うけど、私自身は6年間やってきてこだわりを持っているし、誰に何を言われても自分を曲げないタイプなので、乃木坂の素朴でまっすぐなのに個性がある唯一無二なところは引き継がれていってほしいと思うんです。

――EX大衆2019年7月号

    1期生の世界観は、歌詞を聴く人に手を差し伸べるようなものが多くありました。では、2期生ってどうなんでしょうね。個人的には、二年前の全国ツアーで蘭世の放った、「みなさんにとって、2期生はどう見えていますか?」という言葉は、やはり彼女たちの期生からしか出ないものに思えました。堀ちゃんの言うように、「個性」へのアプローチとして、むしろ観る側の自分たちが彼女たちに「気づき」を得るのが、この期生の特徴なのかもしれません。2016年のクリスマスショーでは、北野と寺田のライバル関係なども話に上がりましたが*2、手を差し伸べるよりも各々が「個的な世界からの呼びかけ」を発してゆくという物語は、彼女たちのパーソナリティとも深く結びついてより魅力的に見えるように思います*3。その世界観というのは、1期生たちが表題で行ってきた『今、話したい誰かがいる*4のような疎外から立ち上がる孤独、とその解決としての個的な連帯ではなく、世界の私室化によって描かれる孤独、とその解決としての遠い世界への交信・行進なのではないでしょうか。

 

f:id:calpasngz:20190712213437j:image

 

  ……そういえば、最近スマホを替えたので、アプリをいろいろ入れ直す過程で久しぶりにニコニコ動画のマイリスを目にしました。本当にすごく昔、初音ミクにはまっていた頃の「music」というマイリスを見ていると、とても懐かしい気持ちになります。思えば、VTuberも出てきて、バーチャルな空間に何らかのキャラが自生してるのって当たり前になりましたけど、初音ミクってその走りだったんだよなー、と。彼女のいる世界には、たぶん人間社会は無くて、だから、どこか寂しそうにも見えます。そして、ひとりぼっちの世界は私室化されてゆく。無限に広がる自分の部屋を、他者を求めてどこまで旅していけるのか?そんな、ドラえもんひみつ道具的なユーモアを思い出しながら、すっかり風化していたはずの過去の時間の中に閉じ込められいた、かつて一番好きだったボカロ曲を聴いていました。

 

 

*1:【遂に公開スタート!!】23rdシングル「Sing Out!」C/W曲「滑走路」Music Video!|http://www.nogizaka46.com/smph/news/2019/05/23rdsing-outcwmusic-video-6.php

*2:――北野さんのひとり1曲プロデュースの『ボーダー』もよかったです。/北野: 2期生は「次世代」と長く言われて続けてるけど、3期生のお披露目も控えるなかで「まだやれるぞ!」というのをファンの方に見てほしかった。「(寺田)蘭世の刺激になれば」という想いもありました。/――『ボーダー』と『ブランコ』のセンター曲がある寺田さんに対して、北野さんはセンター曲がない。そんなコンプレックスもあるんですか?/北野: 蘭世がセンター曲を持ってることはうらやましいと思ってます。いまの私は選抜の3列目にいることが求められてると思って消化したんですけど、やっぱりアンダーライブは素直に観に行けなかった(笑)|北野日奈子 × 新内眞衣 - 運命共同体のふたり - WebZine|https://web-zine.net/366

*3:これは当然、ネガティブな意味合いだけではありません。EX大衆のインタビューで蘭世は、『滑走路』で初めて「笑顔」の指示で撮影されたエピソードとともに、2016年の武道館ライブのスピーチによって強いイメージがつきすぎたと語り、自分の言葉を「発信」することに対してどこまでも自覚的な姿勢を見せています。だから、その言葉は自身についての悲痛な叫びではなく、あくまで誰かに向けて伝えるためのものなんですね。“自分の発言や行動でひとりでも何かが変わって、「常識に囚われなくてもいいんだ」と伝えることができる人になれたらいいなと思っていたけど、あの時、伝わらない人も多いことに気が付いて。本音を出すことが恥ずかしいと思ってる人が茶化してくるし、「もっと刺激的な言葉はないですか?」と言ってくる人もいて、うんざりすることもあったんです。今回は誤解されたくないから強いだけじゃない自分を意識したのかもしれないし、この2年間を支える側として活動したことも影響しているはず。それでも自分として生まれてきてよかったと思うことが最近増えてきたから、横アリのMCでは「生まれ変わっても乃木坂46として活動したい、乃木坂の寺田蘭世でいたい」と伝えました。”|EX大衆2019年7月号

*4:このシングルでは2期生は表題曲に参加していない。“北野と新内が13thシングル『今、話したい誰かがいる』の選抜に2期生メンバーが入らなかった苦い思い出を振り返り、「悔しく、つらい日々を過ごしたときの曲」(新内)と話した……”|乃木坂46は次世代を“育てながら勝つ”グループに 神宮公演に感じた、東京ドームへの確かな架け橋 - Real Sound|https://realsound.jp/2017/08/post-97784.html