未だ見ぬ夜明けに

2019年8月8日、乃木坂46の24thシングル「夜明けまで強がらなくてもいい」のMVが公開されました。監督を務めたのは乃木坂のドキュメンタリー映画一作目も手掛けた丸山建志さんで、同シングルでカップリングに収録されている「僕のこと、知ってる?」が現在公開中のドキュメンタリー映画二作目の主題歌であることを鑑みれば、少々にくい人選とも言えるでしょう。

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 今回のMVは「女の子たちが人知れず心の中で葛藤を持っていたり、誰にも打ち明けることのできない悩みを持っている」*1がテーマらしく、クロースアップで撮影されたメンバー個々人の演技のパートと、大量のエキストラを配したダンスパートで構成され、楽曲のテーマも含め、物語を排したパフォーマンスによるストーリーテリングという点で『シンクロニシティ』や『Sing Out!』とも近しいものを感じさせます。特にダンスパートに関しては、BUBUKA2019年7月号のインタビューでSeishiroさんが『Sing Out!』の振付に関して語った、「主体の時間の流れと世間の時間の流れの対比」を表現していると言えるでしょう。個人的には、『シンクロニシティ』で顕著に前に打ち出された「雑踏」というモチーフのように感じています。つまり、世界の片隅にいる「僕」や「君」を見つけるというグループお得意のストーリーが、直接の出会いではなく、「街中でふと目にする」といった偶発的でよりミクロな形で示されているということです。それは、知らない街のどこかで乃木坂メンバーのポスターをふと見かけるといった、人気の出たグループとファンの最近の距離感とも重なるものと言えるでしょう。また、今回のシングルでは、4期生がフロントとセンターに初抜擢されたサプライズの多いものであると同時に、ジャケットのアートワークで原点回帰を掲げたり*2と、新旧の時間が入り混じったものが企図されていることが伺えます*3。今回のブログでは、そういった数ある諸要素の中から、MV公開直後のYouTubeのコメ欄で散見された「意図が分からない」といったコメントの大きな要因の一つとなっているであろう、MVのアスペクト比について書いてみたいと思います。

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今作は4:3というアスペクト比が選択されているという点で、表題に限らずこれまでのMVの中ではたいへん異質です。この点については、公式のリリース文を読むと、「“メンバーの心情模様を画面に濃密に描きたい”という監督の思いから、あえて4:3での映像演出になっている」*4と書かれています。しかし、「アスペクト比の変化が見ている側に何をもたらすか?」という問いに対する答えはとても言語化しづらい。4:3はアナログテレビやデジカメに採用されたものだから、16:9(地上波テレビ、YouTube)や2.35:1(映画、いわゆるシネマスコープ)に比べてレトロな雰囲気が感じられるとか適当なことは言えるけれど、基本的にこれらの比率は技術競争の歴史*5によって生まれたものだから、そこに物語的な意味とかある程度共有された詩情を求めることは個人的にはかなり困難に思えます。正直、それぞれに情報量が多いとか少ないとかも言えてしまうので。

ただ、この「レトロ」の演出という点では、映画『グランド・ブダペスト・ホテル』がアスペクト比に明確な意味を置いた例として挙げられるでしょう。作中では1932年、1968年、1985年の三つの時代が登場するのですが、場面がそれぞれの時代に移り変わるごとに、その当時に主流だったアスペクト比に変化します。ここから分かるのは、旧メディアのスタイルが、それの実際に用いられていた過去の時間を描き出すときに有効とされているということです。

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曖昧な雰囲気づくりとしての「レトロ」以上に、アスペクト比には特定の時代へのジャンプが期待されているかもしれない。これは逆説的に、現代におけるアス比はとはどのようなものであるかという問いを立ち上げます。一応、個人的には1:1だと思っています。映画『Mommy』や、米津玄師のMV『Lemon』、ヴァーチャルシンガーとして注目を集める花譜の動画全般などが採用しているこの比率は、元々はポラロイドカメラを想起させるクラシカルでレトロな印象のものと言われていましたが、インスタグラムの興隆によって、一気に同時代性を獲得してゆきました。そこにはどのようなエモーションが起こるとされているのか、『Lemon』のMVを監督した山田智和さんが以下のように答えています。 

ちょっと前にグザヴィエ・ドランが1:1で映画を撮りましたが(2014年公開の『Mommy/マミー』)、あれはInstagram時代の象徴でもあると本人が語っていて。画角が狭まることで人物に対してより感情移入ができるということを表現してみせたのですが、“Lemon”でやってみて新しい発見がありました。この画角で見る映像は、FaceTimeSkypeに近いものがあるんじゃないかと。画面から直接こちらに語りかけてくるような、「正対の関係」を上手く作れた気がします。〔…〕私たちが、知らず知らずのうちにFaceTimeSkypeなどで慣れ親しんだ視点を今回、意識的に取り入れられたのが大きな成果でした。それにアスペクト比は、時代に左右されやすいものだと思っています。そもそもなぜ、今は16:9になっているんだろう?なぜYouTubeに合わせなきゃいけないのか?というのは常々考えていて、“Lemon”ではそこから自由になってみたんです。1:1であれば、この先再生デバイスが縦長になろうが横長になろうが関係ない、と。

―― 映像作家・山田智和の時代を切り取る眼差し。映像と表現を語る - インタビュー : CINRA.NET

監督の言葉から示唆されるのは、「対面」であることを強調しながら、同時に普遍的な尺度を示せるのではないかということで、これは個人的にはとても興味深い指摘です。というのも、00年代の企業BGMを元にしたvaporwave、ジャパニメーションをサンプリングするLo-fi HipHop、和モノレアグルーヴの再評価を進めるFuture Funk、コズミックホラーやスティーブン・キングなどへの目配せをしたストレンジャー・シングスなど、特に海外ではここ数年にわたってノスタルジーブームとも言えるような過去の表現スタイルへの注目が起こっています。ただ、結局のところスマホでMV観る若い世代は、メディア規格の変化を生で経験してるわけではないので、特定のスタイルが上世代にとってはある時代のノスタルジーを掻き立てるものであっても、われわれにとっては経験してないノスタルジーの提案でしかないんですよね。だから、今のネットカルチャーの担い手たる30歳前後の人たちが80年代〜00年代にかけての文化、つまり、彼らにとっての青春や幼年期が位置している年代を再考していることに、自分はどこまで乗れるのかなとか思ったりしてます。(ちなみにそういったジェネレーションギャップのズレを補填するために共通語彙として「エモい」という言葉がある、というのが自分の見方です。)とにもかくにも、現代の主流のフレームやスタイルとは異なる時代のものを用いることで、様々な効果をもたらすことが期待されていることは確かでしょう。先の1:1のアス比なども、これまでの時代の中から、より普遍的であったり個別的な語りを演出するのに適した手法が、かつてよりも広範に模索された所産だと考えて良い。乃木坂の『夜明けまで強がらなくてもいい』は、そういった実践の同時代的な現れの一つというわけです。必ずしもレトロであることが企図されているわけではないだろう、と。

さて、今回のブログの結論なき結論へぬるっと向かうために、私は、今作は『キャラバンは眠らない』のMVと比較してみるのが良いかなと思います。キャラバンのMVって、最後に飛鳥ちゃんが電話越しに母親に「私ね、きっと、次に進める」と口にする場面以外は個々の悩みにフォーカスするという点で映像のコンセプトとしてはかなり近いと思っています*6

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シネスコを選択したキャラバンと4:3を選択した夜明けでは、後者の方が丸山監督が語るように「濃密」で、観ている人と悲しみを分かち合うという没入感は優っているのかもしれません。両MVについては、スマホだとニュアンス程度にしか感じられない差異も、大きい画面で見ると顕著に感じられます。シネスコなんかは横の壮大さが強いわけですから、奥行きの現れ方が水平線的なダイナミックな遠さになります。要は、パノラマ写真のような、高所からの眺望を思わせることができるので、ドローンで撮影された際などには背景のスケール感とかを楽しめるわけです。それに比べてみると、4:3は先の1:1で言及されていたほどではないですが、ずっと被写体との「対面性」が強調されているように感じられます。であればこそ、4:3というのは、1:1とシネスコのちょうど中間のような表現、もしくはそれぞれのいいとこどり目指されているのかもしれません。つまり、冒頭で触れたように、クロースアップの演技パートではメンバーの演じる感情に対して「親密さ」を感じ、俯瞰のダンスパートでは雑踏というスケールの中で孤立したメンバーを「見つけた」という感覚が起こるのではないでしょうか。

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なので、そこから立ち現れるのは『悲しみの忘れ方』の歌詞にあるような「迷ってるのは私だけじゃないんだ」というメッセ―ジであり、MVに関しては明言されていない「原点回帰」を思わせます。二つの効果が期待されるアス比も、4期生メンバーの表情に繊細に表れる人となりをごく自然に「乃木坂46」というフィクションに結び付けており、それは、メンバーのパーソナリティとパーフォマンスの接点を模索してきた*7丸山健志監督らしい選択だと思いました。

 

*1:【公開スタート!!】24thシングル「夜明けまで強がらなくてもいい」Music Video!!|http://www.nogizaka46.com/smph/news/2019/08/24thmusic-video.php

*2:【遂に完成!!】24thシングル「夜明けまで強がらなくてもいい」ジャケット写真!!|http://www.nogizaka46.com/smph/news/2019/08/24th-2.php

*3:この点に関しては、今作が長年キャプテンを務めた桜井玲香の卒業シングルであることを考慮すれば、彼女がキャプテンに就任してソロでジャケット写真を担当した『走れBicycle!』の「雨上がり」というテーマを意識していることも指摘できるでしょう。

*4:前掲註1

*5:16:9や4:3などの映像縦横比率が決まった本当の経緯と理由とは? - GIGAZINEhttps://gigazine.net/amp/20151117-history-of-aspect-ratio

*6:“東京に引っ越してきたばかりの齋藤飛鳥、友達とうまく馴染めない与田祐希山下美月、バイト先で上手く振る舞えない堀未央奈、友達と離れることになった梅澤美波・・・。友達関係や部活、進路や家庭、若者は若者として生きていく中での困難やトラブルはあるけれど、自分の中のちょっとした気持ちの変化でそれに立ち向かい、見えている風景が変わっていくはず・・・というストーリー仕立てのMusic Videoです!!”|【2曲同時に公開スタート!!】乃木坂46 22ndシングル「帰り道は遠回りしたくなる」C/W収録曲「キャラバンは眠らない」&「つづく」Music Video!!|http://www.nogizaka46.com/smph/news/2018/10/246-22ndcwmusic-video.php

*7:“丸山:僕は『君の名は希望DANCE&LIP ver.』撮らせていただきましたが、その時に感じたのは、「このコたちはなんて危うい魅力を持っているんだろう」ということでした。同時に、「彼女たちがこの歌詞の世界の主人公なんじゃないか」とも感じました。そう感じてしまうということは、このコたちは何かを持っているのだろう、と。その想像は実際に当たっていたことになりますが、そんな想像をさせるのが乃木坂46の魅力なのかなと思っていました。その後、ドキュメンタリー映画を撮影することになったので、だったら、そこに向き合ってみようと思ったんです。”|舞台裏のプロフェッショナル 「悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46丸山健志監督 | HUSTLE PRESS OFFICIAL WEB SITE|https://hustlepress.co.jp/maruyama_interview