君の「かつて」まで

路面電車の街』、曲を一聴したときは、フックのゆるさも含めて印象の薄いものに感じたのですが、24thシングルの中では、他の楽曲とは異なり、今までに踏襲してきたいくつかの世界観をダイレクトに想起させるものではあったので、どんなMVが来るのだろうという期待が素朴にありました。当初は、それこそ『あの教室』や今年公開された映画『嵐電』のようなノスタルジーと夢の混在したもの、そうでなければ『地球が丸いなら』のような淡々とした旅ものが来ることを想像していました。結果的には、山岸聖太さんが監督を務め、過去と現在が青春の局所的な一場面を通して混じり合うという『あの教室』とどこか通ずるMVとなっていました。

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MVのストーリーを公式のリリース文*1をふまえて簡単にまとめておくと、それぞれの孤独に立ち会った、写真を撮ることが好きだったひかりちゃんという子がいた。飛鳥ちゃん、堀ちゃん、山下の三人は、ひかりちゃんを含めて高校生のある時期によく連れ添っていたけれど、何かしらの出来事があってひかりちゃんは亡くなってしまい、残された三人もなんとなく一緒にいることがなくなった。それから5年後、高校も出てそれぞれの道を進んでいた三人は、ひかりちゃんの「記念日」に故郷で再会し、いつか乗り合わせた汽車に、花束をもって乗車する。道中、写真の中に焼き付けられたあの頃の時間が動き出すかのように、「ひかりちゃん」の姿が車内に見えた気がした。汽車は、どこかへと向かってゆく。……やや妄想も混じっていますが、そんな感じのシンプルなストーリーに思えました。途中、堀ちゃんが知らないおじさんの車の上に座っていたりと、山岸監督らしいユーモアも、いつもよりなりを潜めているとはいえ、あいかわらず随所に配置されているのもポイントです。今回のMVは、公開時期もあってちょっとお盆のような日常と地続きな慰霊の時間を感じさせるのも、夏らしくて良かったです。

路面電車の街』ではタイトルとは異なり、作中に現れる乗り物はパッと見には架線がないので電車ではなく汽車と呼ぶ方が個人的にはしっくりきます。気動車、いわゆる汽車。これは田舎あるあるなのですが、電車(動力が電気)ではなく汽車(動力が電気以外、現代では蒸気ではなくエンジンで動くものを慣例的にそう呼ぶ)が線路を走っていて、路面電車を電車、線路で走っているものを汽車と呼んだりします。今回のMVでは、実際に四人が乗っているものがどのようなものかは分かりませんが、仮に路面電車であったとしてもそれを前に打ち出していません。ただ、車内という時間の中に、ひかりちゃんのいた記憶が重なってゆくシーンを観ていると、何か不思議な気持ちになってきました。それは、いま三人の目の前には存在しないひかりちゃんは、彼女たちの記憶の影として幻影のようにちらちらと姿が立ち現れては消えます。一方で、過去の三人はひかりちゃんの遺した写真の中から立ち現れます。うまく言葉にはできないのですが、このひかりちゃんの「幽霊」というほど明確な実体を持たないけれど、過去の身振りによって別の時間に干渉している感じが面白いなと思いました。今回のブログでは、少々無理やりなので、あくまで連想に過ぎないのですが、ひかりちゃんの薄明な在り方を敢えて「幽霊」と捉えた上で、「電車」「カメラ」という二つのモチーフとの接点を考えていきたいと思います。

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さて、電車と架線の間には、それらをつなぐパンタグラフと呼ばれるくの字に曲がった集電装置がついてます。ここでちょっと興味深いのは、映画監督の黒沢清さんは幽霊というもののイメージをパンタグラフのようなものと語ったことがあります。どういうことか?そもそも黒沢監督は、Jホラーを数多く手がけ、ある雑誌の企画では霊能者に映画における「本物」に近い幽霊を問うた際、全員一致で黒沢監督の作品が選ばれたという逸話があったりします。なんでも、顔が認識できず、滑るように移動するところが近いのだとか。そんな感じで、幽霊というもののイメージを映画で表現することにはかなり長けており、本人も多くの関心を払っている方なのです。黒沢監督はいわゆるちょっと合成ぽい演出を、映画が展開する場面や、それこそ幽霊を表現する際に多く用います。これって、ともすればチープにも映る反面、スクリーンの中の空間と、映画を観ている観客の現実空間の、あたかも境目にいるようなズレた存在として幽霊を立ち上げることに成功しています。一般的な劇映画において、登場人物はいわゆるカメラ目線を多用することはありません。むしろ、劇中の各々の生に没入するため、観ている側はある種の臨死体験のように、彼らの活動を別の位相から観ているような感覚に陥ります。実は、この暗黙の了解を黒沢監督は巧みにホラーの文法によって書き換えているのです。黒沢映画に現れる幽霊たちは、他の登場人物とは異なり、あけすけにカメラ目線を行います。予期せずして、観客が見つめ返されることが、スクリーンの内と外で隔たっていた距離を一気に近づけるのです。この越境する力に、恐怖、さらに言えば幽霊のイメージというのがあり得るわけです。

ダゲレオタイプの女』という作品では、「死はまぼろしですから」という台詞が登場しますが、黒沢映画において「幽霊」は「死後の世界」と「現実の世界」の間に現れています。しかし、それは一方で「死」というものが常に遺影や葬儀、死体といった間接的な形でしか知覚できない、それそのものとして経験したり伝えたりすることのできないものであることを我々に強く訴えかけてきます。つまり、我々は現実と死を媒介するものを通して「死」に触れている。パンタグラフというイメージが持つのも、そういった二つの極をつなぐものであり、そこに通電という形で別の目には見えないものを送ることにある。幽霊のイメージは、単なる死者や魂というわけではなく、黒沢映画では別の世界とを媒介する存在として捉えられているわけです。

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黒沢監督の純化されたイメージとはややずれますが、例えば能なんかでは、「幽霊」は現世での未練を語る術として用いられており、過去という時間を現在化する存在、二つの時間を重ね合わせた存在として扱われます。この特性って、実は「写真」ととっても似てると思うのですがどうでしょうか?『路面電車の街』で乃木坂の三人とは別に現れる、高瀬真奈さん演じるもう一人の友人の名前は「ひかり」です。彼女が持っているカメラ*2はフィルムで、それがある過去の光を焼き付けるものであることを観ている側に強く印象付けます。加えて、現代のシーンの映像と比較した時に、カメラの静止画の粒立った光の具合や、色のグラデーションの細かな揺らぎは、ある一つの過去の時間を濃密に訴えてきます。

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今年公開された映画『嵐電』は、京都の路面電車嵐電(らんでん)」にまつわる3つの恋愛模様が描かれた映画ですが、その内の一人に、嵐電を8ミリカメラで撮り続ける少年が現れます。彼は、京都弁で“このカメラ、好きなものを撮るために買ったつもりなのに、気づいたら、これで撮ったものを好きになっている……”と述懐するのですが、この台詞には、案外いろんな示唆が含まれているように思えます。一般的にデジタルカメラは撮りっぱなしで人がいなくても長時間の撮影を行うことが可能ですが、フィルムカメラはそうはいかない。そこにはいやが応にも撮影した誰かがいる。だからこそ、この映画の先のセリフはいい意味でカメラで撮影することの深刻さを指摘しているのです。期せずして「路面電車」というモチーフが重なっただけですが、この映画の中でフィルムカメラの持つ役割は、こうして乃木坂の今回のMVに豊かなイメージを与えてくれます。それは、カメラを向ける理由に「好きなものを撮る」と「撮ったものを好きになる」の二つの理由を与えることです。カメラを唯一持ったひかりちゃんは三人の孤独で悲劇的な瞬間も撮影するし、みんなでわきあいあいとした場面も撮ります。彼女の向けるカメラは、淡々とした観察や偶然をスケッチするスナップショットではなく、他者に対するポジティブな感情として現れています。ゆえに、現代で再会した電車内での三人と、2014年6月27日にひかりちゃんによって撮影された「かつて」の三人の静止画の対比は、「あの子の見る私たちを見ていたい」という形の未練として感じられます。つまり、「ひかりちゃんの撮ったものを好きになる」というフィードバックの延長に三人の関係があるということです。この眼差しの記憶として、ひかりちゃんは姿を見せなくても、笑いかける三人の先の存在として強く立ち現れる、そんな気が私にはしました。

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今回のブログはいつも以上に散漫としているので、ここらへんで終わりです。何が言いたかったわけでもないのですが、「電車」「カメラ」「幽霊」ってモチーフには少なからぬイメージとしての近さを感じるものがまずはあって、MVはある程度ベタでシンプルに作られたものに思えましたが、「過去の時間」との接点の持ち方がいいなあと思ってつらつらとこのブログを書きはじめたというわけです。

特に思い入れの深い『あの教室』のMVは、懐かしい校舎を訪れた飛鳥ちゃんと堀ちゃんの二人が、かつての学生時代を思い出すうちにシュルレアリスティックなイメージと混ざってゆくという、記憶の在り方をメタ化した作りになっていました。今作では、少しオールディーズな曲調で、同様のメンバーおよび監督、そして「同様のノスタルジー」へと向けられている気がしたので、その辺のあたりでもやや懐かしくも感じ入るものがあったのかもしれません。

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*1:【2曲一挙に公開!!】24thシングル「夜明けまで強がらなくてもいい」C/W曲「路面電車の街」「時々 思い出してください」Music Video!!|http://www.nogizaka46.com/smph/news/2019/08/224thcw-music-video.php

*2:ひかりちゃんが持っていたフィルムカメラは恐らく「Rollei 35」だろうと指摘されています。私はカメラに全く詳しくないのですが、少し調べてみると、ややヴィンテージな品で、レンズ構造と目測式という特徴から、ピントがわずかにぶれやすい。一方で、そのコンパクトなボディ、すぐにシャッターを切ることができ、なおかつそれなりのものを写すことができるということから、日常的なスナップショットに向いたもののようです。