卒業するとは別のしかたで

「卒業」といって、それがあるアイドルメンバーが在籍するグループでの活動を終えることを意味していると了解する人は少なくないでしょう。グループもののアイドル、特に内部でのメンバーの新陳代謝が定期的に起こる場合は、慣例的に「脱退」ではなく「卒業」という言葉が用いられます。それは当然いつかは訪れるものであり、かつてはややスキャンダラスな意味合いの強いものでもありました。
 乃木坂46の「卒業」も、かつては一般的な例に漏れることなく、道半ばでの活動終了といってニュアンスが強いものでした。しかし、2016年の深川麻衣永島聖羅の卒業以降、メンバーやファンにとってのもの寂しさを、むしろ盛大に言祝ぐためであったり、悲しみを共有するためにその言葉は用いられています。それは、メンバーの「卒業」がそれ自体としてコンテンツ化してゆくこととも並走しています。
 さて、そんな「卒業」のあり方に関するネガポジについて判断することは今回のブログの趣旨ではありません。毎シングルごとにメンバーの「卒業」が起こるといっても過言ではない程度に「卒業」が常態化した乃木坂46において、それらの表現にはどのようなアウトプットがあるのかを検討してゆきます。とはいえ「卒業」は、TV番組や、ライブ、さまざまな配信、写真集、ラジオ、舞台、SNSといった各種メディアを通して多岐にわたって展開されており、なおかつ私自身がそれらを包括的に押さえているわけではないので、ここではあくまでMVをメインに、一部の例外的な活動とともに検討してきます。
 都合、卒業曲のリリースや卒業ライブなどが大々的に展開されるようになった、すなわちコンテンツ化が進んだという点で、2016年以降のものに焦点を絞って取り扱います*1。また、今回のブログはあくまで「卒業」にまつわる表現をめぐっていくつか気になるもののみをピックアップします。卒業メンバーの年表や、その後の活動、卒業ライブでのセトリ*2、卒業曲*3などについては、下記のリンクにまとめられているのでそちらを参照してください。

 

■楽曲での実践

 「卒業ソロ曲」には一定の傾向性があります。曲調は暗く、歌詞や映像には個々の人生へと至る「未来像」あるいはグループに対する「未練」がのせられ、「去りたくないけれど去らなければならない。しかしいつかは良い思い出に変わる」といったものが多くの楽曲に共通して打ち出されたメッセージとして読み取ることができます。しかし、EPごとに有限なリソースをお家芸的な感動ポルノへと着地させることには、少なからず疑問が残ります。推しメンの卒業であったとしても、本来そこにはメンバーごとの差異が反映されるべきでしょう。はじめに本項では、かような「卒業曲」の系譜において、王道から外れた実践の例を見てゆきます。

Against

「Against」は、初代センターである生駒里奈の、グループでの活動最後のシングルに収録された一期生曲です。表題曲でセンターに立たなかった彼女は、20thというメモリアルなシングルに収められた一期生楽曲の制作に積極的に関わりました。そのため、この楽曲では、彼女たちの培ってきたイメージを刷新するような、それこそ生駒自身が身を置かされていたオールドスクールな乃木坂性なるものに対して意欲的なアプローチがなされています。




冷たい水の中

堀未央奈の卒業の際、ソロ楽曲のMVを、活動後半からグループの内外において関わりの深かった山戸結希が手がけました。先回のブログでも言及しましたが、「卒業曲」というのは往々にして保守的な価値観やヴィジョンに基づいたドラマになりがちです。しかし、今作では、堀と山戸のある種の共犯関係によって、グループの文法に立脚することのない自律した表現がなされています。それは、堀の活動が着地する地点として正当なものであり、説得力があります。




さ~ゆ~Ready?

2021年6月1日になって公開された松村沙友里のソロ曲は、三人の映像監督の共作というかたちで発表されました。序盤は松村の指先のみによる映像とエッジの効いた展開から始まり、最初期からあった個人PVからサンプリングされながら、最後にはぶりぶりの衣装で歌い踊る構成になっています。ここでは「松村沙友里」というキャラクターが丹念に辿られ、再帰的に現在の彼女の姿を捉えることに成功しており、単なる懐古身振りには収まっていないことがポイントです。加えて楽曲自体が、卒業曲の暗さをいじるだけの明るさを持っているため、やはり異質な存在感を放っています。


 

■別のしかたで

 先の三人の卒業時のカップリング曲のMVは、いずれも個々のメンバーの足跡や意向が反映され、それを十分に受け取ることのできるものでした。とはいえ、少なくないメンバーは、こういったかたちで卒業の際に自身のクリエイションをシングルの上に残すことはできません。そこで本項では、そういったグループの明確な系譜や位置づけからは逸れた場所にあるメンバーたちの「卒業」の際の実践を続いて見てゆきます。個人的には、アンダーメンバーや、選抜常連・福神・フロントとしての活動期間が長かったいわゆる強メンには当てはまらないメンバーには、個人PVや、別のしかたでのクリエイションの余地がもっと残されるべきであると思います。また、醜聞に追われて活動を辞退するような際にも、メンバーたちはむしろクリエイションによって守られるべきではないか、とも。

永島聖羅の場合

乃木坂46における「卒業ライブ」「卒業コンサート」の最初の事例は、アンダーツアーに組み込まれるかたちで行われた永島聖羅によるものです。直後に卒業シングルとして表題のセンターを任された深川麻衣の卒コンを控えていたこともあり、ライブの機会が選抜メンバーに比べて多かったアンダーで、演出の調整などを行いたかったというのもあるかもしれません。しかし、グループの興行が明確に「卒業」に差し向けられた最初期の事例であることは確かです。さて、永島聖羅の活動期間は『今、話したい誰かがいる』までです。シングルリリース後、アンダーライブの初日に卒業を発表し*4、年をまたいだツアーファイナルでラストを飾っています。注目したいのは、その卒業発表に先行して、シングルリリース時に発表された個人PVです。当時の感触が私には分かりませんが、事後的に卒業に関連した映像であったことが明かされた本作を通して、個人PVの持味をうかがい知ることができるのではないでしょうか。個人PVが卒業の際に個々人をフォローするという役割は、案外、多くの例があるわけではありません。




川後陽菜の場合

アンダーメンバーとして活躍しながら、サブカルさというキャラクターを積極的に発信していた川後陽菜は、卒業の際にクローズドなトークイベントを開催しました。定員制ではありましたが、当日のSHOWROOM生配信で多くのファンの元へと会場の様子も届けられました。トークの後半では、川後が懇意にしていた深川麻衣が登場するなど、前提から進行までかなりカオティックで、新しいものやことに対して好奇心旺盛な彼女のらしさが現れています。卒業後にはフリーランスとして活動し、おおむね好調なようです*5。「卒業」のパフォーマンスが、歌や踊りだけである必要がない。卒業後の活動の前フリのようなかたちで行われたイベントは、「卒業」自体に対するハッキングのようなものでもありました。彼女の示した拡張性が、今後の礎になってゆくことを願います。



中元日芽香の場合

「ひめたん」の愛称で慕われ、長らくアンダーを牽引してきた中元日芽香は、グループでの活動の後半は心身ともに万全とは言えませんでした。最後には北野日奈子とともに「アンダー」のWセンターを務めていますが、このMVは、アンダー全体の活動を総括するものであり、過去の様々な映像アーカイブを再編集したものが多くを占めています。そんな彼女は卒業と同時に芸能活動を引退することを発表しました。それを受けて、NHKラジオ「らじらー!サンデー」にて中元とパーソナリティを務めたオリエンタルラジオは、RADIO FISH名義での楽曲に彼女をクレジットしました*6。グループの外でリリースされたこのMVは、時間が経つとともに諸々の活動が平坦にアーカイブされ、埋もれていってしまうことを待つのみとなった個々のメンバーの足跡を、別の関係づけによってすくいあげるきっかけとなるでしょう。




伊藤万理華の場合

「個人PVの女王」と呼ばれ、福神常連メンバーではないにもかかわらずグループの中で強い存在感を放っていた伊藤万理華。そんな彼女は、先の川後と同様に独自の路線で「卒業」して見せました。伊藤は、「脳内博覧会」と題して自らアートディレクションした企画展示を行い、会場で「はじまりか、」という映像を上映しました。監督は伊藤の個人PVにおける「まりっか」関連を手がけた福島真希であり、この映像は伊藤本人のオファーによって実現したそうです。「はじまりか、」は後日、乃木坂46の公式チャンネルで公開され、アンダーアルバムにも映像特典として収録されました。これら企画展と集大成となる映像コンテンツによって、自己プロデュースを徹底していた伊藤は、あくまで能動的に自らの「卒業」を発信したわけです。特に「はじまりか、」に関しては、音源化もなされていない、文字通りの「映像コンテンツ」でしかないのですが、個人PVの流れを踏まえたうえで、演劇的に自らを演出してゆく極めてクオリティの高い一作となっています。

 

■あわいにて

 今回のブログでは、数多くの「卒業」を経験した乃木坂46において、選抜メンバーとアンダーメンバーそれぞれに見られる創発的なアウトプットを見てゆきました。これらは、グループ主導で当人の出来事が「物語化」されることからの抜け道やわき道を示しているものです。冒頭にも述べたように、個々の実践の好き嫌い以上に、メンバーごとの差異というものが反映された展開はより積極的に打ち出されるべきだと思いますし、それを期待しています。さて、今回のブログの大意は以上のようになるのですが、最後にひとつ、また別の「卒業」の現れを見てゆきます。
 センターに立っていなくとも、卒業メンバーはそのラストシングルで参加したMVの中でフォーカスされることがままあります。それは、「卒業」が頻繁になったことで、EP単位でのリソースが飽和している時などに救済措置としての役割もあるでしょう。卒コンの有無に限らず、かたちの残るものを作るのにはどうしても限界があります。また、本人が卒業でのお祭り的なかたちでセンターやMV制作を望まないということもあります。さて、そんなMV内でのフォーカスは、ダンスパートとドラマパートのそれぞれで行われる場合と、両者を含むMV全体で取り扱われる場合と、三つに大別されます。以下では、恣意的に、個人的な印象の強い場面に基づいていくつか列挙してみます。

シンクロニシティ』の生駒里奈
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帰り道は遠回りしたくなる』の若月佑美
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夜明けまで強がらなくてもいい』の桜井玲香
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僕は僕を好きになる』の堀未央奈
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ごめんね Fingers crossed』の松村沙友里
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錆びたコンパス』の伊藤純奈渡辺みり愛
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 これらの数秒のカットは、ともすればパッケージされたひとつの卒業コンテンツよりも強い訴求力を獲得していることがあります。そこから分かるのは、「卒業」に関するあれこれは、クリエイションの中のささやかな「場面」でも十分に経験されうるということではないでしょうか。ゆえに、定式化されて「卒業」自体がジャンル化する必要はないのです。それはただ、ポジションを一歩ずらして、スポットライトが少しだけ当たりやすくすることで可能になるのです。

 白石麻衣と同時期に卒業した自分の推しメンであった井上小百合は、卒業セレモニーなどの提案もあったそうですが、コロナの影響と本人の意向によって、グループ主導での取り目立った催しもないまま活動を終えました*7。在籍時最後の舞台公演も本来予定されていたスケジュールは中止されています。一ファンとしては後悔がないといえば嘘にはなりますが、他方で、「そっと居なくなろう」と考えていた彼女が最後にシングルでの活動を選択してくれたことには感謝しかりません*8。そんな井上もまた、最後に多くのファンに届いたコンテンツは表題曲、白石麻衣がセンターを務めた楽曲でのMVの一コマでした。今回のブログでは、これまでの卒業曲の慣例的な側面を、それに対置されたクリエイションによってやや露悪的に書いてきました。しかしながら、そういったパーソナリティの発露の出来による良し悪しの判断というものに本来的な意味や快楽はありません。ここで扱っているのは「卒業」の大規模な展開のB面の取り組みです。もっと原初に立ち返れば、様々なレベルでのパフォーマンスのふとした瞬間に潜むささやかな身振りの中で、卒業するメンバーを言祝ぎ、その姿に十分な喜びを感じることもできるでしょう*9

しあわせの保護色』の井上小百合
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*1:例えば、中田花奈が卒業発表後に歌番組で「おいでシャンプー」のセンターを務めたことは「卒業」にまつわる重要なエピソードであることは間違いありませんが、これらの事例にまで手を出しはじめると際限がなくなるので今回は扱いません。→ 乃木坂46 中田花奈、『テレ東音楽祭』「おいでシャンプー」センターにファンが湧く理由 年内卒業に向けての活躍を振り返る - Real Sound|https://www.google.co.jp/amp/s/realsound.jp/2020/09/post-622542.html/amp

*2:堀未央奈の卒業ライブにあたる「9thバスラ2期生ライブ」のセトリは以下を参照。→【セトリ】乃木坂46 LIVE 2021-2022 全日程セットリスト【アンダーライブ2021】 | 新時代レポ|https://report-newage.com/35077

*3:卒業ライブのラストソングに着目したこちらのまとめも参考になります。→ 乃木坂46歴代メンバーの卒業ソングまとめ&詳細。卒コンのラストソング特集。|https://www.nogi-toa-cheer.com/%E4%B9%83%E6%9C%A8%E5%9D%8246%E6%AD%B4%E4%BB%A3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%8D%92%E6%A5%AD%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81%EF%BC%86%E8%A9%B3%E7%B4%B0%E3%80%82/

*4:乃木坂46永島聖羅が卒業発表 | BARKS|https://www.barks.jp/news/?id=1000122512

*5:「収入は右肩上がり」乃木坂46からフリーランスになった川後陽菜を支える〝ファン組織〟 | FREENANCE MAG|https://freenance.net/media/interview/2007/

*6:RADIO FISH、卒業を発表した乃木坂46 中元日芽香とのコラボ楽曲「LAST NUMBER」を8日に配信リリース – 音楽WEBメディア M-ON! MUSIC(エムオンミュージック)|https://www.google.co.jp/amp/s/www.m-on-music.jp/0000235671/amp/

*7:\ ♪♪ / 井上小百合 2020.3.24(※アーカイブ)|https://archive.sakamichi.co/nogi/blogs/055378

*8:ヽ(。・ω・。)ただいま 井上小百合 2020.2.3(※アーカイブ)|https://archive.sakamichi.co/nogi/blogs/054813

*9:乃木坂46と、静かに“成熟”を体現すること|香月孝史|note|https://note.com/t_katsuki/n/n4580792ade50